蜂蜜博物誌

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舞台『サンドイッチの作り方』(2018年)_感想

記事の表題がいつも無味乾燥な「タイトル_感想」なのでそろそろキャッチーなサブタイトルをつけたほうが親切なんじゃないかと考えたりもするのですが、そのあたりに割けるセンスがない以上に、少なからず、なんでもかんでも読解の助けになるような副題をつけてしまう傾向に違和感を覚えるので悩ましい。(海外映画の邦題がすこぶる長い、みたいな)

ときに世の中では「わかりやすさ」がもてはやされて、ものごとの複雑な、あるいは絡み合ってほどけない美しさとか醜さとか、そうした重層的な事物がないがしろにされる傾向も多々あるけれど、「料理に込められたメッセージ」なんて、作り手と受け手の双方に感受性の奥行がなければとてもじゃないけど成立しないものなんじゃないかしら。《メッセージを届ける側も頑張らないといけないけど想いを受け取る側も努力が必要なんです》それはきっと、料理も、歌も、舞台も、日頃の些細な会話でさえ共通するものだろうと思います。

物語も演出もすごく好きだったけど、土日の4公演を通して何一つ飽きなかったのは、主演の西園みすずさんが小松恵美として一瞬一瞬ナマの喜怒哀楽をみせてくれたからだと思います。毎公演同じ場面でも「持ってくる感情」に違いがあるように見えました。「ああ今日はここで圭ちゃんにときめいたな」とか、「これは思わず泣いちゃったんだな」とか、「おお今日はがんばってこらえたな」とか、感情の波打ちが4公演すべてに別個のそれを感じました。うまく言えないけれど「同じ物語を繰り返し演じてる」というよりは「繰り返し同じ状況に立ち会った恵美の、そのときどきの感情」に立ち会った気分。恋人役の八島諒さんもとても似ている演じ方だったように思いました。圭介が食べているパスタを吹いたり、食べるはずのシチューが足りなくてカツカツカツカツ一生懸命搔き集めてたり(笑) そのたびに恵美の「あ~もう圭ちゃんなにやってるの~~~(好き)」みたいな気持ちが滲みでてる愛しげな苦笑い。よく彼の肩をパンパン叩いてたのがとてもお芝居には見えなくて。どのカップルもすてきだったけど、お互いに対する感情の高めあい方に、つくりものじゃない気持ちが滲みでる主演カップルが私は大好きでした。

公演が発表になったとき「現代日本の男女恋愛ものかあ。修羅場? うーんどんなもんだろう……」程度の反応だったんですけれど、まさかこんなに大好きな作品になるとは思いもよりませんでした。恋愛ものって下手すると〈記号〉の連続。「OL」がいて、「かっこいい先輩」がいて、「浮気」があって、「片思い」があって、「壁ドン」で女の子は恋に落ちて、「浮気は男の甲斐性」で、「女の嫉妬はおそろしい」みたいな。世間に流通してるイメージやカテゴライズを組み合わせて「ほらドキドキしたでしょう?」みたいな。そんな記号遊びも楽しいことには楽しいけど、言ってしまえば固定観念とか偏見とかを捏ね繰り回してるだけだと思うし、決して生きた人間の感情を描くものではないと思うんです。

『サンドイッチの作り方』も「売れないミュージシャンと支える恋人」「片思い」「修羅場」「幼馴染」「束縛彼氏とできる女」と、並べたら随分キャッチーな記号を並べ立ててるように見えるけど、そこには単純なカテゴライズに収まりきらないそれぞれの人生や価値観があって、何よりお互いを想う誠実さと優しさがありました。公演前、キャストの皆さんが「登場人物みんないい人ばかり」と言ってた理由がよくわかった!! だれも吾朗さんの浮気未遂を庇わないし、吾朗さんもちゃんと「我に返って」反省してる。そこに変な見栄はないの。気のない女の子に好かれた佐々木くんも、言ってしまえば一方的に好かれただけなのに、想いを向けてくれたことにきちんと心を寄せてる。そりゃ自分も咲江さんに片想いをしてるからっていうのもあるかもしれないけど、「困ったなあ」で終わらせない。えらい。すごい。みんな誠実なひとばかり。

ワンシチュエーションの会話劇かと思いきやダンスミュージカル風のポップな演出がとても軽やかですてきでした。音楽の使い方もとても好き。それぞれのカップルが背中合わせにスポットライトを浴びるあのシーンもすごく好き。「料理にこめられたメッセージ」を解読するのは難しい、と思ってしまうかもしれないけど、日常の会話だってみんないつも何かしらを期待しながら言葉を交わしてるんですよね。伝える気のない人が「察してよ」と言ったり、逆に想いを受け取る気のない人が「言わなきゃわかんないよ」と言ったり、そういうはなからシャットダウンする気満々のいじわるにうんざりすることも多いけど、自分も含めて、もう少しだけ、優しい世界を信じてがんばろう、と思います。