蜂蜜博物誌

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舞台『SORAは青い The Sky's The Limit』(2019年)_感想

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ここのところ小劇場の観劇が続いていたので久しぶりの中規模の舞台はとても贅沢に思えた。惜しみなく照らされるライトに加えてBGM・SEの多用も豪勢な感じがしたし、衣装もキャストの骨格に似合うものが選ばれていて衣装スタッフの腕のよさが伝わる。「お金がかかっている」と言うとひどく俗な表現になるが、趣向を凝らして観客を楽しませる努力がよくされていたように思う。

メジャーデビューを目指している同じ児童養護施設出身の三人組バンドが意図せず過去へと飛ばされ、実在した悲劇の少女・駒姫の運命を変える―――という筋書きだが、史実のチョイスがよかった。「最上家は有名だよ!」とは歴史好きの談だが、戦国時代はおおまかな流れしか知らない自分にとって彼女のエピソードは初耳だった。この時代、妻や子どもは、あくまで家を継いだ男の所有物でしかなかったのだろう。太閤秀吉の悪逆を象徴するものとしては朝鮮出兵における耳塚が教科書に載るほど有名だが、駒姫たちの処刑も惨烈をきわめる。

平松可奈子さん演じる駒姫は世界観が提供し得る最高のかわいらしいお姫さまだったと思う。活舌よく、鈴を転がしたような高い声は、まるでアニメを見ているようで歴史ファンタジーの世界観によく馴染んだ。未来からきた主人公の音楽を物珍しいと賞賛したり、異性の前で着替えをしてしまえる無邪気さは、いわゆる典型的Manic Pixie Dream GirlやBorn Sexy Yesterdayに相当するキャラクター像である。これらは主に映画に描かれる女性像に対する批判的な文脈で用いられることの多い言葉だが、少し前の少年漫画らしい作品なので、駒姫のヒロイン像として違和感なく魅力的だったと思う。少女としての可愛らしさと凛としたお姫さまとしてのバランスにとても艶があった。

駒姫で唯一惜しかったのは衣装が中村誠治郎さん演じる悪役・ウルジに負けていたことだろう。髪飾りは素晴らしかったのだが、ウルジのスワロフスキーを散らした(いちばんの歌舞伎者はお前だと言いたい)毒々しい華やかさを前にしてしまうと、着物の安っぽさが目立つ。衣装替えの多い役どころなのできちんとした和装は難しいと思うが、ウルジと対照的に伝統的な着こなしにすればいくらか印象が違ったのではないかと思う。古典柄の浴衣に帯揚げ・帯締め帯留めを着脱しやすいようにセットして、打掛でも羽織ればじゅうぶん「お姫さま」にみえたはずだ。ちなみに手元の日本史の便覧によれば安土桃山時代の女性の装いは小紋が中心だったそうである。

特殊な状況下におかれた主人公が「未来人」ゆえにその世界でもてはやされ、しかも歴史上の有名人の生まれ変わり(?)で、ほかでもない自分の得意分野でヒロインを救うという物語は、娯楽作品における類型的な題材だが、前述のように駒姫という史実のチョイスがよかったために大筋の陳腐を免れている。しかも、役者がいい。ウルジ役の中村誠治郎さん・弁慶役の星智也さん・又吉役の丸川敬之さんは紛れもない実力派で、ファンタジーの世界観に安心感を与えていた。

八島諒さん演じるタケルと弁慶のやりとりが可愛らしくてよかった。公演を追うごとに例の距離が縮まっていくので、千秋楽にはいったいどうなってしまうのかとヒヤヒヤしながら楽しめた。ヒーローヒロインより絡みがセクシーなのはどうかと思う。ごちそうさまでした。

義経だけではなく、タケルも道真も名前の由来になった歴史・神話上の人物の生まれ変わりなのだろうか? タケルはともかく道真が覚醒したら雷操る系ラスボスになるような気がする。また、安土桃山時代とは一転して、未来の世界のウルジこと漆間が貧乏くじを引いているオチはおかしみがあった。転生モノのおいしさを詰め込んだようなエピソードだった。

物語の大筋の着眼点は本当によかったし、コメディ・シリアス問わず、細かいシーンひとつひとつが面白かった。俳優陣の厚みにも助けられて全体的に飽きの来ない出来栄えだったと思うが、一方でシナリオが洗練されていたかと言うと疑問が残る。

たとえば、児童養護施設出身と一口に言ってもさまざまな経緯があるにも関わらず、作者が持っている「施設」にまつわるぼんやりとしたイメージが大前提にされているために、受け手は義経の具体的な背景を一切知らないまま終わってしまう。これでは共感のしようがないし、いきなり「恋愛に臆病なおれ」の話をされても唐突で困ってしまう。

保育士資格を取得する際は児童養護施設(あるいは障害児施設)で実習を受けることが義務付けられているので、観客にもそのあたりに詳しいものは相当数いたと思う。保育士ではないが、私も施設で一か月近く実習をした。その経験から「施設=親に捨てられた子どもが集まるところ」はフィクションをもとにした偏見的な言い回しに思えたし、実際にそこで暮らしていたはずの義経がそうした認識を持つことに違和感を覚える。児童養護施設は「さまざまな事情で親と暮らせない子どもが養育を受ける場所」であり、義経は乳幼児の頃に実親のもとを離れたがゆえに「自分は捨てられた」と認識している―――のであれば、彼の生い立ちもよくわかるのだが、そうした説明が一切ないために、義経まわりの心理描写は「雰囲気で察してくれ」と言わんばかりになってしまった。

ついでに意地悪を言えば、もしもThe Sky's The Limitの3人が名付けられないうちから実親の手を離れたのであれば行先はまず乳児院だし、名づけは施設長じゃなくて自治体の役割だし、究極のところ児童養護施設は国と自治体から措置費を受けて運営されているので資金繰り云々でつぶれることはありません。だってそうじゃなきゃ子どもが安心して暮らせないでしょ。

そのあたりはフィクションなのでいいとして。

現実に即した描写を、という話ではなく、世界観のためのエクスキュースが圧倒的に不足していたと思う。「施設とはこういうもので(偏見)こういうイメージのつきまとうものだから(主観)それでキャラクターの背景は説明されたものとする」と言わんばかりのシナリオでは観客を置いてけぼりにしてしまう。これは作品のキーフレーズである「たまらなく空は青い」にも言える。"The sky's the limit" が副題にも使われている以上、この台詞には「あなたに限界はない(あるいは「だから希望をもって」)」の意味が込められていると推測するのは難しくない。けれども、恋愛に臆病だと語った直後に「大丈夫。たまらなく空は青い」と慰めのように言われても唐突感が凄まじい。もう少し台詞と構成の兼ね合いを吟味してほしかったのが正直なところである。

義経たちはセーラームーンのほたるちゃんみたいに死後何らかのすげえパワーで赤ちゃんに生まれ変わって未来に送られて園長先生に拾われた存在だからそもそも親がいなかったみたいな設定を予想してるんだけどどうなんでしょうね。

あらすじが発表されたとき真っ先に萩尾望都『あぶない壇之浦』が思い浮かんだ。タイムスリップものは歴史ものよりもわかりやすく、ちょっとした教養的楽しみもあるところが魅力的だ。事前放送では次回作を見据えているような話もあったので、ブラッシュアップされた物語を期待したい。

 

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あぶない丘の家 (小学館文庫)

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