蜂蜜博物誌

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映画『ロマンティックじゃない?』(2019年)_感想

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ラブロマンス映画を醒めた目で見ている主人公・ナタリーがあたまを打ち付け目覚めると、そこはラブロマンス映画の世界だった。

子どもの頃に愛したラブロマンスの世界はあまりに非現実的でご都合主義、かつ偏見表現に満ちている(寝起きのヒロインはメイクばっちり、女の同僚は対立的に描かれ、ゲイはまるで主人公を助けるためだけの存在する魔法使いポジション、職場には人種的多様性が存在しない)ことをナタリーは痛烈に批判する。ところが、ひったくりと格闘した彼女が目を覚ますと、ニューヨークの街の様子にとどまらず、自宅も、同僚も、上司も、お隣さんも、ひそかな想い人さえ、まるでラブロマンス映画のように様変わりしてしまったのだった。街の人はナタリーを「美しいひと」と誉めそやし、仕事でも一目置かれ、現実ではプロフェッショナルである彼女をお茶くみ係として扱ったエリート男性は彼女に夢中、普段何してるかわからない謎の隣人はオネエ言葉のステレオタイプなゲイへと変貌を遂げる。しかし、ひそかな想い人だけは、美人モデルと電撃的な恋に落ちる。歯の浮くようなセリフや展開にナタリーは「うえ~!」とドン引きしながら、元の世界に戻る方法を探っていく。

パラレルワールドで自信を取り戻し、現実の世界に戻ったナタリーは、仕事での栄誉も想い人も勝ち取ることに成功する。「まるであなたラブロマンスの世界みたいね」と同僚は感激するが、物語は「結局批判してたラブロマンスと同じ展開になってしまった」評価にはあたらない。ラブロマの世界でナタリーが気づいたのは「自分を愛する喜び」だった。それは他者の承認がすべてになるラブロマンス世界との決別であり、自分を愛することで、結果的に仕事における評価に繋がり、想い人に本心を告げる行動力へと昇華された。さらに、ステレオタイプのゲイとしてパラレルワールドで活躍していた隣人は、ラブロマ世界と同じくゲイだったことが判明する。それでも彼は淡々と言うのだ。「ゲイはオネエ言葉をしゃべるって?ドラッグの売人はできない?それは偏見だよ」

ラブロマ世界と、現実と、たしかな類似点がありながら、そこには決定的な「ずれ」が存在する。ラブロマ世界のナタリーと、現実に戻ったナタリーにも、そこにはあきらかな「ずれ」がある。たとえ彼女がハッピーエンドを迎えても、それはナタリーがボロクソに貶したラブロマンスの再現ではないのだ。仲良しの同僚と、自分を愛する恋人と、ステレオタイプにあてはまらない隣人。むしろ現実のほうがすてきかもしれない。不完全な夢のような世界から、たくさんの自信と、いい気分だけ持ち帰って、偏見にはけっこうモヤりつつ、現実を生きるパワーにかえたナタリーの一挙一動は、まるで私たちの娯楽に接する営みそのものに見えた。